ブログを書いて、色々な人と会って、大変褒めて頂く事が増えた
承認欲求満たしたいマンの僕としてはお世辞だろうと何だろうと万々歳なわけだけど、その中でとびっきり多く言われるのが
「良い人」「やさしい」
の2つだ
言われればもちろん嬉しいのだけれど、どうにも本当にそうだろうか? という気持ちは拭いきれない
世の中には良い人も優しい人もいっぱいいると思う
そりゃ僕にだってちょっとくらいは良い所や優しい所もあるとは思うが、自分が特別そうだとはどうにも思えない
それでもこの前母親と夕食を食べている時に、ふと
「あんたは優しすぎる所があるから不安だわ」
という事を言われた。母までそう言うか
「小さい頃からずっとそう」
と母は言う
車に轢かれて死んでるネコを泣きながら拾ってきたり
家の冷蔵庫を買い換えて捨てる事に泣いたり(ずっと使ってたものを捨てるのが悲しかったらしい。回収業者のおじさんを困らせた)
よく知りもしない子のいじめに介入したり
「やっぱり私の育て方が良かったのかしらねぇー」
「アアウン。ソウダネ」
とか言いながら笑ってたけど、やっぱり実感は無かった
っていうか優しいっていうのとはちょっと違くねー? どっかおかしいんじゃねーってのがその辺の話を聞いた感想だ
そしてそもそも
「良い人」「やさしい」
って、そんなに良い事なんだろうかと思う事もある
だってそんなの、誰でも出来るよ
それって本当に魅力なの?
それで得した事って、あんまり無い。たぶん
それで損した事なら、いっぱいある。たぶん
結局のところそれだけじゃ欲しいモノって手に入らないんじゃね? みたいな
ズルさというか、要領の良さというか、そういった部分が必要なんじゃなね? みたいな
そんで損得とか見返りとか言ってる時点で、それって紛い物なんじゃない?
って
まあ長年生きてると、そういう考えにもなってくる
正直者は馬鹿を見るっていうのは、きっとその通りだ
ただ、最近思う事もある
僕の周りには「良い人」「やさしい人」がやけにたくさんいる
もちろんしょーもないのもいるし、やけに敵視してくるのもいるけど
僕はあんまり凹まない方だし、与えられるよりは与える事に喜びを見出すタイプだと自分では思ってる(わかんない。もしかしたら与えられるために与えているのかもしれない)
それでもこの前ふと弱みを見せてしまった時、凄くたくさんの励ましの言葉が届いた
心配する声が届いた
思いやりの気持ちが届いた
僕はただ吐き出したかっただけで、それを求めたわけじゃない
ヘタに言葉何てかけてくれなくても良い。理解されると思っちゃいないし、そもそも理解何て求めてない。ただ辛かったから、リアルとは違うどこかにぶちまけたかったというだけの話。だからぶちまけた時点でもう満足。そう、ただの自己満足に他ならない
それに、あんなふうに反響が来た
なんだよ
って思った
でも、悪態をつく気にもなれなくて
だって素直に嬉しかった
なんだよこいつら
良い奴過ぎだろ
優し過ぎだろって
ありがたいなって
嗚呼、いつか、もしもこの人達が凹んでいたら助けてあげたいなって。困っていたら力になりたいなって
そういう気持ちになった
そして、ふと思った
もしかしたら僕は知らず知らずのうちに、この人達に、同じような事をしてあげられていたんじゃないかな、って
だから今、こうやってそれが返って来てるのかなって
だからみんな、そうやって僕に言葉をくれたのかもしれないなって
勝手ながら、そう思った
もしかしたら本当に自分が良い人だから、周りに良い人達がいてくれるんじゃないだろうか
もしかしたら本当に自分がやさしいから、周りにやさしい人達がいてくれるんじゃないだろうか
あんまり得をしないし、結構損をするけど、それでも意味はちゃんとあったのかもしれない
良い人も、やさしい人も、そんな捨てたもんじゃないのかな
だから、本当にそうかはわからないけど
そんな自分は嫌いじゃないし、少し誇らしい
最近はそう思えるようになった
そんで、周りの人間の事を「良い人」とか「やさしい」とか思ってるあんた、そう、そこのあんただよ
それはたぶんそういう事だから
ちょっとくらい自分を誇っても良いんじゃない?
そんな感じ!
おわりっ